Jun Hashimoto
第53話 良い違和感をつくる
服を選び、鏡の前で確認する。 「これで大丈夫」 そう思って家を出たはずなのに、 実際にその場所へ着いてみると、 「あれ、何かズレているな」 と感じることがある。 服が似合っていないわけではない。 自分ではきちんと整えたつもりなのに、 周囲の人やその場の空気と並んだ瞬間、 何となく違って見える。 この感覚を、僕は大切にしている。 なぜなら違和感は、 自分の装いを客観的に見るための 非常に分かりやすいサインだからだ。 ただし、違和感には二つある。 一つは、悪い違和感。 もう一つは、良い違和感だ。 悪い違和感とは、 その場が求めているものを理解できていない状態だと思う。 格式のある場所に、 あまりにも日常的な格好で行く。 静かな場で、 自分だけが強く主張しすぎる。 相手への敬意が必要な場面で、 自分の好みだけを優先する。 そこにいる人が感じるのは、 個性ではなく場違いだ。 本人は目立っているつもりでも、 周囲には空気を読めない人として映ってしまう。 以前にも書いたが、 自分らしさとは周囲を無視することではない。 その場の目的や空気を理解した上で、 自分の感覚をどう重ねるか。 そこが重要になる。 一方で、良い違和感もある。 周囲と大きく外れてはいない。 その場への敬意もある。 しかし、よく見ると何かが少し違う。 色の合わせ方。 素材の選び方。 シルエットのバランス。 靴や小物の使い方。 ほんの少しの差によって、 その人に自然と目が向く。 目立とうとしているわけではないのに、 なぜか印象に残る。 これが良い違和感だと思う。 良い違和感は、 奇抜さとは違う。 人が見たことのない服を着ることでも、 誰よりも派手にすることでもない。 その場に馴染みながら、 完全には埋もれないこと。 空気を壊さず、 ほんの少しだけ空気を変えることだ。 そのためにはまず、 その場所がどういう場なのかを 見抜かなければならない。 誰が集まるのか。 何のための時間なのか。 どの程度の格式があるのか。 自分には、どんな役割が求められているのか。 仕事の会食なのか。 友人との食事なのか。 式典なのか。 パーティーなのか。 同じジャケットを着るにしても、 場所が変われば正解も変わる。 場の空気を理解した上で、 そこへ自分らしさを上手に被せる。 その順番が大切だ。 最初から自分を押し出すのではない。 まず環境を読み、 その上に少しだけ自分を加える。 全体を変える必要はない。 周囲がダークスーツなら、 自分もその流れは守る。 ただ、素材の質感を変える。 シャツの色を少しだけ変える。 靴の選び方に、その人らしさを残す。 パーティーなら、 会場の華やかさを理解した上で、 少しだけドレスアップの強度を上げる。 この小さな差が、 良い違和感を生む。 目立ちすぎれば、 服だけが先に歩いてしまう。 馴染みすぎれば、 その人である必要がなくなる。 その間にある、 わずかな緊張感。 僕はそこに、 オシャレの本質があると思っている。 その場で他人よりも少し目立ち、 少しだけ注目を浴びる。 しかし、誰も不快には感じない。 むしろ、 「何か分からないけれど、あの人は良い」 そう感じさせる。 その状態までいけば、 装いは自分を飾るものではなく、 場の空気を支配するものになる。 支配するといっても、 威圧することではない。 大きな声を出すことでも、 派手に振る舞うことでもない。 その人がいることで、 場の緊張感が少し上がる。 周囲の人も自然に姿勢を正す。 会話の空気まで、 少しだけ整っていく。 服装によって、 その場の温度を変えることができる。 それが、本当の意味で 空気を支配するということだと思う。 良い違和感をつくるには、 勇気も必要になる。 周囲と少し違う格好をすると、 落ち着かないことがある。 見られている気がする。 自分だけ浮いているのではないかと、 不安になる。 でも、その感覚から逃げて いつも周囲と同じものだけを選んでいると、 自分のスタイルは育たない。 大切なのは、 違和感を感じたときにすぐ引き返すのではなく、 その理由を考えることだ。 本当に場違いなのか。 それとも、 自分がまだその姿に慣れていないだけなのか。 周囲が不快に感じているのか。 あるいは、 良い意味で注目されているのか。 その違いを見極める。 最初は分からなくてもいい。 さまざまな場所へ行き、 さまざまな人を見て、 自分でも試してみる。 鏡だけではなく、 実際の環境の中で自分を確認する。 その経験を重ねることで、 悪い違和感と良い違和感の境界が 少しずつ分かるようになる。 良い違和感を人に与えることは、 自分の成長にもつながる。 今まで選ばなかった服を着る。 少し格式の高い場所へ行く。 自分よりも経験のある人たちの中に入る。 その時に感じる居心地の悪さは、 自分が次の段階へ進もうとしている証拠でもある。 最初から完全に馴染める人はいない。 少し背伸びをし、 少し緊張しながら、 その環境に自分を近づけていく。 服は、その背中を押してくれる。 違和感は、 必ずしも消すべきものではない。 悪い違和感は修正する。 良い違和感は残し、 少しずつ自分のものにしていく。 その場に馴染みながら、 その場に新しい空気を加える。 その絶妙なズレが、 やがてその人の個性になる。 あなたが感じているその違和感は、 場違いなのだろうか。 それとも、 新しい自分がまだ馴染んでいないだけなのだろうか。