Jun Hashimoto
第52話 自分の基準を整える
僕は、才能とは何かと聞かれたとき、 「己を知ること」だと思っている。 自分に何ができるのか。 何が得意で、 何が不得意なのか。 どこまでなら通用し、 どこから先は誰かの力を借りるべきなのか。 それを客観的に理解できる人は、 適切な行動を選ぶことができる。 無理に前へ出る必要がない場面では引き、 自分が勝負できる場所では迷わず前へ出る。 自分の立ち位置を理解しているから、 周囲との関係も崩れにくい。 結果として、 その人の能力は正しく伝わり、 評価も上がっていく。 反対に、自分の能力を見誤ると、 行動に無理が出る。 できないことを、できると思い込む。 自分に向いていない場所で勝負する。 周囲が求めているものと、 自分が見せたいものがずれていく。 本人は一生懸命でも、 どこかおかしなことになる。 だから、自分を知ることは 自分を小さく見積もることではない。 自分の力を、 最も良い形で使うための準備だと思う。 服も同じだ。 服を買うとき、 多くの人は「今欲しいもの」を見る。 この色が欲しい。 このブランドが気になる。 この服を着ている自分を想像すると、 少し気分が上がる。 その感覚は大切だ。 欲しいという直感がなければ、 服を選ぶ楽しさもなくなる。 ただ、欲しいものだけを買い続けても、 自分のスタイルはなかなか整わない。 服は、一着だけで完結するものではないからだ。 今、クローゼットに何があるのか。 その服と何を合わせるのか。 似たものをすでに持っていないか。 足りないものは何なのか。 それを考えずに欲しいものだけを増やすと、 服の数は増えても、着こなしは増えない。 買ったときは魅力的に見えたのに、 家に帰ると合わせるものがない。 結局、数回しか着ない。 そんな服がクローゼットに残っていく。 これは、服選びに失敗したというより、 状況を見ずに判断した結果だと思う。 自分の基準を整えるためには、 今だけではなく、 少し先の自分まで見る必要がある。 将来、どんな着こなしをしたいのか。 どんな場所に行きたいのか。 どんな人に見られたいのか。 今より身体を絞りたいのか。 反対に、体型を無理に隠さず、 自然に見せたいのか。 服は、現在の自分に合わせるだけではなく、 これからなりたい自分へ近づくためにも使える。 ただし、理想だけを見てもいけない。 今の自分の体型。 年齢。 仕事。 生活環境。 普段会う人。 そうした現実も見なければならない。 理想と現実のどちらか一方ではなく、 その間をどうつなぐか。 そこに、服を選ぶ意味がある。 そして、もう一つ必要なのが 第三者からどう見えているかという視点だ。 自分では似合っていると思っていても、 周囲には無理をしているように見えることがある。 自分では控えめなつもりでも、 実際には地味に見えているかもしれない。 自分では個性的だと思っていても、 場に合っていなければ ただ浮いて見えることもある。 自分の感覚は大切だ。 しかし、自分の感覚だけで すべてを判断することはできない。 鏡を見る。 写真に撮る。 信頼できる人の意見を聞く。 少し離れた場所から全身を見る。 そうやって、自分を他人の視点から確認する。 これは、他人の評価に振り回されることとは違う。 自分がどう見えているかを知った上で、 何を残し、何を変えるかを 自分で決めるということだ。 自分の基準は、 最初から完成しているものではない。 欲しいもの。 持っているもの。 なりたい自分。 今の自分。 周囲からの見え方。 そのすべてを見ながら、 少しずつ調整していく。 僕は、その作業を 「整える」と呼びたい。 整えるとは、 無難にすることではない。 個性を消すことでもない。 自分の感覚と現実を一致させることだ。 好きなものを着る。 ただし、自分にどう見えるかを確認する。 新しいものに挑戦する。 ただし、今持っている服との関係を考える。 理想の自分を目指す。 ただし、現在の自分を無視しない。 この調整ができる人は、 服を買うたびにスタイルが明確になっていく。 何を選ぶべきかが分かり、 何を選ばなくていいかも分かる。 結果として、迷いが減る。 自分を知ることは、 可能性を狭めることではない。 むしろ、 自分の力を最も活かせる選択肢を増やすことだ。 才能とは、 何でもできることではない。 自分に何ができ、 何を選べば最も良く見えるのかを知っていること。 服においても、人生においても、 自分の基準はそこから整っていく。 今欲しいものだけではなく、 今持っているものを見る。 今の自分だけではなく、 これからの自分を見る。 自分の目だけではなく、 他人の目からも見てみる。 そのすべてを知った上で、 最後は自分で決める。 自分を知ることから、 自分の基準は始まる。