Jun Hashimoto

46話 年相応とは、年齢に従うことではない

「年相応」という言葉を、よく耳にする。 洋服の話になると、特に多い。 50代の男性が、
20代向けのブランドを着るのはおかしい。 派手な服はもう似合わない。
若い頃と同じ格好をするべきではない。 そんな文脈で使われることが多い。 でも僕は、
年相応とは単純に年齢で服を区切ることではないと思っている。 何歳だからこの服。
何歳を過ぎたらこれは駄目。 そんなに簡単な話ではない。 同じ50代でも、
体型も違えば、仕事も違う。 生活している場所も、
会う人も、価値観も違う。 若々しく見える人もいれば、
落ち着いた雰囲気を持つ人もいる。 年齢という数字だけで、
着るものを決めることはできない。 では、年相応とは何なのか。 僕は、今の自分を格上げし、
その場の空気に自然に馴染ませることだと思う。 若く見せることでもない。 無理に大人らしく見せることでもない。 今の自分を最も良く見せること。 それができている状態が、
本当の意味での年相応なのではないか。 例えば、20代向けとされるブランドを
50代の男性が着ていたとしても、
それが必ずしも間違いとは限らない。 サイズが合っている。 色の使い方が整っている。 全体のバランスに無理がない。 そして、その人自身の雰囲気と合っている。 そこまで成立していれば、
ブランドの想定年齢はそれほど重要ではない。 反対に、いわゆる大人向けの高価な服を着ていても、
サイズが合っていなかったり、
場の空気から浮いていたりすれば、
年相応には見えない。 価格も年齢も、
その人を自動的に良く見せてくれるわけではない。 大切なのは、
服と人と場所の関係だ。 自分に似合っているか。 今の自分をよく見せているか。 その場にいる人へ、
不快感や違和感を与えていないか。 その上で、
自分らしさが残っているか。 年相応とは、
若さを諦めることではない。 年齢を隠すことでもない。 積み重ねてきた時間を、
魅力として見せることだと思う。 若い頃には出せなかった落ち着き。 経験によって生まれた余裕。 自分に必要なものと、
必要ではないものを見分ける判断力。 年齢を重ねることでしか生まれないものは、確かにある。 それを消して若く見せようとすると、
どこかに無理が出る。 反対に、年齢を理由にして
自分を小さくまとめすぎても魅力はなくなる。 派手な色を避ける。 細い服を避ける。 新しいものを避ける。 そうして安全なものだけを選んでいると、
年相応ではなく、
ただ老けて見えることもある。 年齢を重ねたからこそ、
自由になっていい。 ただし、その自由には
自分を客観的に見る力が必要になる。 何が似合っているのか。 何が今の自分を良く見せるのか。 どこまでなら遊べるのか。 若い頃は勢いで着られたものも、
年齢を重ねると、
選び方にその人の知性が表れる。 だから年相応とは、
制限ではなく技術なのだと思う。 自分の年齢を理解し、
体型を理解し、
立場を理解し、
その場の空気を理解する。 その上で、自分を最も良く見せる。 服によって格上げされ、
周囲に自然に馴染み、
それでもその人らしさが残っている。 それができていれば、
若者向けの服であっても、
クラシックな服であっても問題はない。 服に年齢があるのではない。 着こなしに、年齢が表れる。 何歳に見えるかよりも、
今の自分がどう見えているか。 年相応とは、
年齢に従うことではない。 今の自分を、
今より少し良く見せることなのだと思う。