Jun Hashimoto
44話 ロゴは、何を証明しているのか
人は、誰かとつながっていたい生き物だと思う。 同じ音楽を聴く。 同じ店に通う。 同じチームを応援する。 自分と同じ感覚を持つ人を見つけると、 少し安心する。 自分の選択が間違っていなかったと、 確認できるからかもしれない。 ファッションにおいて、 その共有感を最も分かりやすく確認できるものが、ロゴだ。 街ですれ違った人が、 自分と同じブランドを身につけている。 それだけで、言葉を交わさなくても 何かを共有しているような感覚が生まれる。 そのブランドが持つ歴史。 思想。 文化。 美意識。 ロゴは、それらを一瞬で伝えることができる。 本来、ロゴとは 商品の価値を保証するための記号だったはずだ。 この名前なら間違いない。 このブランドなら信頼できる。 長い時間をかけて積み重ねられた仕事が、 小さな記号の中に凝縮されている。 だから、ロゴには価値がある。 しかし今、僕たちが見ているロゴには、 本当にそれだけの中身があるのだろうか。 例えば、一枚のコットン100%のTシャツ。 もちろん、コットンにも違いはある。 原料の産地。 繊維の長さ。 糸の紡ぎ方。 編み方。 染色。 縫製。 仕上げ。 一見同じように見えるTシャツでも、 そこには確かな品質差が存在する。 良い素材を選び、 丁寧に作れば、価格が上がるのは当然だ。 ただ、それでも一枚が十万円を超えたとき、 僕たちは何に対してお金を払っているのだろう。 素材なのか。 技術なのか。 デザインなのか。 ブランドが築いてきた歴史なのか。 それとも、胸元に置かれた 誰もが知っている記号なのか。 十万円という価格が高いか安いかを、 単純に決めたいわけではない。 その人にとって十万円以上の喜びがあるなら、 それは相応の買い物なのだと思う。 欲しいと思う感情も、 所有する満足感も、 ブランドの世界に参加する体験も、 すべて商品の価値の一部だからだ。 ただし、その価値を 自分自身で理解して選んでいるかは重要だ。 みんなが知っているから。 高価だから。 成功しているように見えるから。 そんな理由だけでロゴを選んでいるなら、 それは自分の価値観ではなく、 他人の評価を借りているだけかもしれない。 ロゴは、着る人の価値を 高めてくれるものではない。 本来は、そのブランドが何を信じ、 何を作り続けてきたのかを示すものだ。 素材に妥協しないこと。 技術を守ること。 新しい文化を生み出すこと。 美しさに対して誠実であること。 その中身があって初めて、 ロゴは意味を持つ。 中身のないロゴは、 ただの目印に過ぎない。 そして、ロゴが大きくなるほど、 服そのものを見る必要がなくなっていく。 どんな生地なのか。 なぜこの形なのか。 着たときに何を感じるのか。 本来、自分の感覚で判断するべきことを、 ロゴが代わりに説明してくれる。 それは便利だ。 しかし便利さと引き換えに、 僕たちは物を見る力を 少しずつ失っているのかもしれない。 ロゴを否定する必要はない。 ロゴによって生まれる共有感も、 ブランドが築いてきた価値も、 ファッションの大切な魅力だからだ。 ただ、もう一度考えてみたい。 そのロゴは、何を証明しているのか。 ブランドの仕事を証明しているのか。 商品の品質を証明しているのか。 自分の価値観を表しているのか。 それとも、自分が何者であるかを 他人に説明してもらっているだけなのか。 ロゴを見る前に、服を見る。 名前を知る前に、素材に触れる。 価格を確認する前に、 自分の心が動いたかを確かめる。 その順番を取り戻すことが、 自分の価値観で物を選ぶ 最初の一歩になるのだと思う。 ロゴに価値があるのではない。 積み重ねられた中身が、 ロゴに価値を与える。 では今、自分が身につけているそのロゴには、 どんな中身があるだろう。 そして、その中身を知らなくても、 あなたは同じ服を選ぶだろうか。