Jun Hashimoto

第三十八話 一生型

服には流行があります。 細くなったり、太くなったり。 短くなったり、長くなったり。 昨日まで古いと思われていた形が、数年後には新しく見える。 ファッションは、そうやって動き続けます。 その変化を否定するつもりはありません。 流行には、その時代の空気がある。 だから面白い。 ただ、僕は昔から、流行の中心にいたいとは思いませんでした。 流行を知らないのではなく、知った上で距離を取る。 何が動いているのかを見ながら、それでも変えなくていいものは何かを考える。 僕の考える一生型とは、流行を無視した形ではありません。 流行より深いところに理由がある形です。 人が立つ。 歩く。 座る。 腕を動かす。 服は、その身体と動きの上にあります。 時代が変わっても、人の身体や日常は大きくは変わりません。 だから、本質的な形はそこから離れない。 なぜこの肩なのか。 なぜこの長さなのか。 なぜこのゆとりなのか。 すべてに理由がある。 見た目を新しくするためではなく、着る人が自然に見えるための形です。 流行を追った服は、その時代には強く見えます。 でも時代が変わると、形の理由まで失ってしまうことがある。 一生型は違います。 古くならないように作るのではなく、古くなる理由がない。 無難ということでもありません。 特徴がないわけでもない。 静かだけれど、意志がある。 服だけが先に見えず、着る人を少しだけ美しく見せる。 僕が探しているのは、その場所です。 一生型という言葉は、一着を一生着るという意味だけではありません。 十年後も、その形を着たいと思えること。 年齢を重ねても、今の自分に馴染むこと。 買った時が完成ではなく、着ることで少しずつ完成していくこと。 生地が柔らかくなる。 身体の癖を覚える。 時間が、その人だけの表情を作る。 良い形には、その変化を受け止める余白があります。 完成された形とは、何も変えない形ではありません。 変えるべきものと、変えなくていいものが分かっている形です。 着心地を良くするために数ミリ直す。 素材に合わせて分量を変える。 それは新しく見せるためではなく、本質に近づくための修正です。 毎年違うものを作ることより、変えない理由を持つ方が難しい。 でも僕は、そこに服作りの価値があると思っています。 流行の外に逃げるのではなく、 流行より深い場所に根を張る。 それが、僕の考える一生型です。